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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)71号 判決

東京都世田谷区大原2丁目21番13号

原告

株式会社新素材総合研究所

代表者代表取締役

磯野啓之介

訴訟代理人弁護士

石角完爾

同弁理士

原史生

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

荒井寿光

指定代理人

園田敏雄

前田仁

幸長保次郎

土屋良弘

吉野日出夫

主文

1  特許庁が平成5年審判2798号事件について平成6年1月28日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告代表者は、昭和60年8月9日、名称を「酸素により変質することのない薬液入りプラスチック容器の製造方法」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和60年特許願第175091号)をし、原告は、平成元年7月1日、原告代表者から本願発明の特許を受ける権利を譲り受け、同月14日、その旨を被告に届け出た。しかしながら、上記特許出願については、平成4年12月17日に拒絶査定がなされたので、原告は、平成5年2月12日に査定不服の審判を請求し、平成5年審判第2798号事件として審理された結果、平成6年1月28日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年3月7日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

耐熱性を有する柔軟なプラスチック材料で形成された排出口を有する容器に酸素によって変質しやすい成分を含む薬液を入れ、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換した後、酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で高圧蒸気滅菌を行い、該高圧蒸気滅菌の圧力を維持したまま該滅菌された薬液入り容器を不活性ガス雰囲気中で冷却し、しかる後該容器を高い酸素ガス非透過性を有する包装材料で包装し、該容器と該包装材料との間に形成される空間に脱酸素剤を入れて封入することを特徴とする酸素により変質することのない薬液入りプラスチック容器の製造方法(別紙図面A参照)

3  審決の理由の要点

(1)本願発明の要旨は、特許請求の範囲に記載されている、前項のとおりと認める。

(2)これに対し、原査定の拒絶の理由の概要は、本出願前の昭和59年5月16日に頒布された昭和59年特許出願公開第84719号公報(以下、「引用例」という。)に記載された発明に基づいて、本出願前の慣用手段を斟酌すれば、本願発明は当業者にとって容易に発明し得るので、特許法29条2項の規定に該当するというにある。

そこで、引用例をみてみると、引用例には薬液入りの容器を第1のプラスチック包装材料によって、次いで第2のプラスチック包装材料によって包装した滅菌処理の薬液入りプラスチック容器の製造方法にかかる発明が記載されている(別紙図面B参照)。

本願発明と引用例記載の発明(以下、「引用発明」という。)とを対比すると、両発明は、ともに酸素によって変質を生じやすい成分を含む薬液を該酸素による変質を防止しつつ保存するためのプラスチック容器の製造方法である点において共通するものであるが、以下の点で相違するものと認められる。

〈1〉 本願発明では、高圧蒸気滅菌処理に先立って薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換しているが、引用例ではこのような工程が記載されていない点

〈2〉 本願発明では、滅菌処理された薬液入り容器を第2の包装材料で包装した後に、該容器と該包装材料との間に形成される空間に脱酸素剤を入れて封入しているのに対して、引用例ではそのような記載のない点

(3)各相違点について判断する。

〈1〉 相違点〈1〉について

容器内に薬液を収容した状態で、不活性ガスで加圧し、かつ実質的に酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で殺菌することは本出願前の周知手段(昭和57年特許出願公開第206447号公報(以下、「周知例」という。)を参照)であり、本願明細書をみても上記滅菌手段を適用したことによって、滅菌作用の上で格別顕著な効果が奏せられでいるとも認められないので、先の周知手段である不活性ガスで加圧し、かつ実質的に酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で殺菌することに替えて、滅菌という同目的達成のために、先ず容器内を不活性ガスで予め置換し、しかる後、飽和水蒸気雰囲気中で滅菌する手段を講じることは当業者にとって格別の創意を要することとは認められない。

〈2〉 相違点〈2〉について

容器の内容物の長期保存のために、内容物の酸化反応によって内容物に影響を及ぼす酸素をできるだけ排除しようとして容器内に脱酸素剤を封入することは慣用手段(昭和58年実用新案登録出願公開第125176号公報参照)であり、かつ、本願発明において格別特異な脱酸素剤の封入の用法及び作用を採用しているものとも認められないので、不活性ガス及び飽和水蒸気によって滅菌処理した薬液入り容器内の滅菌状態を維持するために、前記脱酸素剤を容器内に封入することは当業者にとって単なる慣用手段の適用にすぎないものと認められる。

(4)したがって、本願発明は、引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

引用例に審決認定の技術的事項が記載されており、本願発明と引用発明とが審決認定の一致点及び相違点を有することは認める。しかしながら、審決は、相違点〈1〉の判断を誤った結果、本願発明の進歩性を不当に否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)周知例には、審決が認定するように、「容器内に薬液を収容した状態で、不活性ガスで加圧し、かつ実質的に酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で殺菌すること」(以下、「周知例記載の滅菌手段」という。)、より具体的には、高圧蒸気滅菌工程中に容器内圧力を所定の圧力条件まで高め、かつ、この高圧条件を保持するために、オートクレーブ内に不活性ガスを導入して加圧することが記載されている(3頁右下欄4行ないし4頁左上欄2行)。

この不活性ガスの導入による加圧は、本願発明が要旨とする構成のうち「酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で高圧蒸気滅菌を行」う工程(以下、「滅菌工程」という。)において高圧を確保するための慣用手段であって、本願明細書の「オートクレーブの場合、高圧蒸気滅菌時の圧力を該雰囲気に不活性ガスを導入することによって維持する。」(8頁1行ないし3行)、「滅菌中のオートクレーブ内の圧力を確保するために、不活性ガスを適宜導入する。」(10頁15行ないし17行)という記載に対応するものである。

(2)これに対し、本願発明が要旨とする構成のうち、相違点〈1〉に係る「薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換」する工程(以下、「ガス置換工程」という。)は、滅菌工程に先立って、「プラスチック容器に該薬液を分注する際、(中略)実質的に薬液中及び容器内に酸素が存在しないように」(本願明細書7頁7行ないし9行)するためのものであって、滅菌工程において高圧を確保するために行う前記の不活性ガスによる加圧とは、処理段階、目的及び作用が全く異なる。

本願発明は、滅菌工程に先立ちガス置換工程を行うことによって、薬液中及び容器内の酸素を積極的に取り除き、このようにして得られた実質的酸素不存在状態を維持したまま、滅菌土程以下の処理を行うことによって、滅菌効果を著しく向上させるものである(本願明細書14頁の表参照)。

(3)しかるに、審決は、滅菌工程に係る周知例記載の滅菌手段のみを論拠とし、かつ、本願発明が「上記滅菌手段を適用したことによって、滅菌作用の上で格別顕著な効果が奏せられているとも認められない」ことを理由として、本願発明のガス置換工程に係る構成を採用することには格別の創意を要しないと判断したものであるから、説示されている理由と結論との間に齟齬があり、その判断に誤りがあることは明らかである。

(4)この点について、被告は、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理において、「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」は本出願前の技術常識であるから、周知例記載の滅菌手段のみに替えて、技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」をも付加的に採用することには進歩性がないというのが、相違点〈1〉に係る審決の判断の趣旨であると釈明している。

しかしながら、審決は、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理において「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」が本出願前の技術常識であることを全く認定しないままで、周知例記載の滅菌手段に「替えて、滅菌という同目的達成のために、先ず容器内を不活性ガスで予め置換し、しかる後、飽和水蒸気雰囲気中で滅菌する手段を講じること」には格別の創意を要しないと判断しているのであり、かつ、技術常識であるとされる「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」を付加的に採用することについての技術的な評価も一切していないのであるから、被告の上記釈明は審決の認定判断と符合せず、審決の違法性の有無を審理する本件訴訟の趣旨を逸脱するものである。

被告の上記釈明の論拠は、容器内の残存酸素による薬液の変質を可及的に回避するとの目的において、本願発明のガス置換工程と周知の滅菌手段とが軌を一にするという点にある。しかしながら、仮に目的が同一であっても、これを解決すべき構成が相違し、それによって従来技術からは予測できない作用効果が得られるならば、発明の進歩性は肯認されるべきであるから、被告の前記釈明には論拠がない。

(5)なお、被告が「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」が本出願前の技術常識であることの論拠として援用する各文献に記載されている技術は、いずれも、薬液を充填したアンプル等のガラス容器について不活性ガスにより酸素置換を行うものである。ガラス容器は柔軟性ないし可撓性がないため、滅菌した薬液を注入した場合に僅かながら空隙が残るので、この空隙ボイド部分に存在する酸素をなくすために不活性ガスで置換し、その後の高圧蒸気滅菌処理における加熱時に薬液を変質させないようにすることは、従来より慣用されている手段である。これに反し、柔軟性の容器であるプラスチック容器の場合は、本出願前の技術常識では、空隙を残さずに薬液を封入することが可能であり、注入した薬液量が容器内容積に満たない場合であっても、プラスチック容器の互いのシート面が密着した状態となるため空気に晒されず、容器中に酸素は実質的に存在しないと考えられてきた。すなわち、従来は、プラスチック容器を使用する場合は、滅菌前には不活怪ガスによる置換処理を行わなくとも、アンプル等のガラス容器内と同程度にほとんど残存酸素のない状態が得られるものと考えられていたのであって、引用例及び周知例記載の発明は、上記のような従来の考えに立脚したものである。しかしながら、このような方法で薬液入りプラスチック容器を大量に製造した場合、充填薬液に変質するものが見られる(その理由は、未だ明らかにされていない。)。本願発明は、このような知見に基づいて、従来技術では全く想定されていなかった滅菌工程前のガス置換工程を行うことによって、大量製造の場合でも変質を防止した無菌薬液を安定的に得ることを可能にしたものである。

以上のとおりであるから、「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」は、ガラス容器の場合においては技術常識であるとしても、プラスチック容器については技術常識とはいえないから、被告が援用する各文献をもってしても、相違点〈1〉に係る本願発明の構成に想到することは当業者といえども決して容易になし得たことではなく、本願発明は十分な進歩性を有するものである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

(1)原告は、滅菌工程に係る周知例記載の滅菌手段のみを論拠として、本願発明のガス置換工程に係る構成を採用することには格別の創意を要しないとした審決の判断には明らかな誤りがあると主張する。

しかしながら、周知例記載の滅菌手段の目的の1つは、加熱滅菌処理中に雰囲気中から容器内に酸素が侵入して薬液の変質反応が発生し、かつ、滅菌のための加熱によって該反応が促進されることを回避すると同時に、酸素分圧の差を利用して変質の原因となる薬液中及び容器内の残存酸素を容器外に排出し、薬液の変質を可及的に回避することであり、その場合、薬液中及び容器内の残存酸素が少なければ少ないほど薬液の変質が効果的に回避できることは、技術的に明らかである。そして、以上のことは、引用例の「プラスチック容器内に残存している恐れのある酸素やプラスチック容器と第1の包装材料との間に残存している恐れのある酸素がこの発明に従う高圧蒸気滅菌時に第1の包装材料を透過して酸素分圧の低い滅菌雰囲気中に排出される」(4頁左下欄14行ないし19行)という記載によっても、明らかに裏付けられるというべきである。

他方、本願発明が、滅菌工程に先立ってガス置換工程を採用したことの目的は、容器内の残存酸素による薬液の変質を可及的に回避することであって、前記周知の滅菌手段が目的とするところと軌を一にするものである。

(2)しかるに、株式会社地人書館昭和46年11月15日発行「薬剤製造法(下)」682頁、昭和36年特許出願公告第23194号公報、昭和42年特許出願公告第2920号公報、昭和40年特許出願公告第24039号公報、昭和38年特許出願公告第2293号公報及び昭和45年特許出願公告第37837号公報に開示されているように、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理において、薬液の変質防止のために「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」は、本出願前の技術常識である。

したがって、周知例記載の滅菌手段により実現される機能の一部である「変質の原因となる薬液中及び容器内の残存酸素を容器外に排出し、薬液の変質を可及的に回避する」機能について、さらに完全を期すために、周知例記載の滅菌手段のみに替えて、技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」をも付加的に採用することは、当業者にとって格別の創意を要しないというのが、相違点〈1〉に係る審決の判断の趣旨である。

(3)この点について、原告は、審決は「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」が本出願前の技術常識であることを全く認定していないと主張する。

確かに、審決には、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理において「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」が本出願前の技術常識であることは明記されていないが、審決は、相違点〈1〉に係る本願発明の構成に想到することが当業者(すなわち、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理の技術分野における技術常識を含む通常の知識を有する者)にとって容易であったか否かを判断しているのであるから、上記の技術常識の存在を判断の当然の前提としているのである。

(4)また、原告は、「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」は、ガラス容器の場合においては技術常識であるとしても、プラスチック容器については技術常識とはいえないと主張する。

しかしながら、ガラス容器とプラスチック容器とは、いずれも酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理の技術分野において使用される容器であり、かつ、滅菌工程に先立つガス置換工程を行うことによって残存酸素が完全に除去された場合、薬液の変質が回避されるという効果は、ガラス容器とプラスチック容器とに共通する効果である。そして、薬液を収納する容器が、一般に、ガラス容器からプラスチック容器に移行しつつあるという技術の流れを考慮すればガラス容器を使用する者の技術常識は、プラスチック容器を使用する者にも共有される技術常識といえる。

なお、プラスチック容器中には酸素は実質的に存在しないと考えられてきたという原告の主張は、プラスチック容器であっても大気中で薬液を充填する場合には容器内に大気中の酸素が入り込むことが常識的に考えられるから、理由がない。かえって、前記のような引用例の「プラスチック容器内に残存している恐れのある酸素」(4頁左下欄14行、15行)という記載からみれば、引用例記載の発明は、原告主張のようにプラスチック容器中には酸素は実質的に存在しないという考えには立脚しておらず、プラスチック容器を使用する場合にも、酸素が容器内に残存する恐れがあり、薬液変質の防止の観点から、残存酸素は可及的に除去しなければならないとの認識に立脚していることが明らかである。

したがって、酸素により変質しやすい薬液入りプラスチック容器を製造する者が残存酸素を可及的に除去するという課題を認識した場合、同様の課題を解決する手段としてガラス容器を使用する者の技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」を採用し得ることは明らかであるから、原告の上記主張は失当である。

(5)以上のとおりであるから、相違点〈1〉に係る審決の判断には、原告主張のような誤りはない。

なお、仮に、相違点〈1〉に係る審決の判断の趣旨が、「周知例記載の滅菌手段のみに替えて、技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」をも付加的に採用することは、当業者にとって格別の創意を要しない」というにあるとする被告の釈明が許されないとしても、相違点〈1〉は、要するに、プラスチック容器に酸素により変質しやすい薬液を収納し、加熱滅菌処理を行って薬液の変質を防止しようとする引用例記載の発明において、さらに可及的に薬液の変質防止を図るために、単に、技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」を採用したものであって、このような構成は、当業者が特段の創意を要することなく容易に想到し得たものにすぎない。したがって、本願発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした審決は、結論において誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証(特許願書添付の明細書及び図面)及び第3号証(手続補正書)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が下記のとおり記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

(1)技術的課題(目的)

本願発明は、薬入りプラスチック容器、特に、高圧蒸気滅菌及び長期にわたって変質することのない薬入りプラスチック容器の製造方法に関する(明細書3頁3行ないし6行)。

近年、注射用輸液剤の投与時において内容液が外界と接触することを防止するために、クローズドシステムが用いられるようになっているが、このクローズドシステムに用いられる輸液剤の容器は、従来のガラスびんやガラスアンプルに代えて、柔軟性のあるプラスチック製容器が使用されるようになっている(同3頁8行ないし13行)。

この種の薬入りプラスチック容器は、内容液を滅菌するために、通常、高圧蒸気滅菌される。常温ではガス透過性が低いプラスチック材料、例えばポリ塩化ビニルでも、高圧蒸気滅菌時にはガス透過性が高くなり、雰囲気内に存在する酸素が、プラスチック材料で形成された容器壁を通って容器内に侵入し、内容液を変質させる(同3頁17行ないし4頁5行)。

引用例に開示されている製造方法では、薬入りプラスチック容器を第1の包装材料で包装して高圧蒸気滅菌に供するので、薬入りプラスチック容器と第1の包装材料が滅菌時にブロッキングを起こし、使用時、薬入りプラスチック容器を第1の包装材料から取り出すのが困難であった。さらに、二重包装であるため、製造コストが高く、また、2つの包装材料から薬入りプラスチック容器を取り出すのに手間がかかる。その上、薬入りプラスチック容器内及び薬液中に酸素が存在している状態であるから、滅菌時に酸素が存在しない雰囲気で行っても、薬液の変質がみられた(同4頁9行ないし5頁1行)。

本願発明の技術的課題(目的)は、高圧蒸気滅菌時あるいは滅菌後においても、長期にわたって薬液が変質することがない薬液入りプラスチック容器の製造方法を提供することである(同5頁14行ないし16行)。

(2)構成

上記の技術的課題(目的)を解決するため、本願発明は、その要旨とする特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(手続補正書2枚目2行ないし14行)。

(3)作用効果

本願発明は、下記の利点を有する。

a 薬液中及びプラスチック容器内を不活性ガスで置換し、実質的に酸素が存在しない状態で、かつ、滅菌時及び滅菌後の冷却時の圧力保持に不活性ガスを導入することにより、薬液が変質しない。

b 包装材料に入れる前に滅菌するので、包装材料と薬液入りプラスチック容器のブロッキングという不都合がなく、包装材料及びプラスチック容器の材質を広い範囲から選択できる。

c 包装材料と薬液入りプラスチック容器との間に形成される空間に脱酸素剤を設置することにより、薬液の変質を防ぎ、薬液入りプラスチック容器の表面でのカビ等の微生物の繁殖を防止できる(明細書14頁下から5行ないし15頁11行)。

2  相違点〈1〉の判断について

原告は、審決は滅菌工程に係る周知例記載の滅菌手段のみを論拠とし、かつ、本願発明が「上記滅菌手段を適用したことによって、滅菌作用の上で格別顕著な効果が奏されているとも認められない」ことを理由として、本願発明のガス置換工程に係る構成を採用することには格別の創意を要しないと判断したものであるから、説示されている理由と結論との間に齟齬があると主張する。これに対し、被告は、周知例記載の滅菌手段により実現される機能の一部である「変質の原因となる薬液中及び容器内の残存酸素を容器外に排出し、薬液の変質を可及的に回避する」機能について、さらに完全を期すために、周知例記載の滅菌手段のみに替えて、技術常識である「加熱滅菌処理に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」をも付加的に採用することは、当業者にとって格別の創意を要しないというのが、相違点〈1〉に係る審決の判断の趣旨であると釈明する。

(1)そこで、先ず、周知例記載の滅菌手段の技術内容を検討する。

成立に争いのない甲第5号証によれば、周知例には、「常温ではガス透過性が低いプラスチック材料例えば塩化ビニルでも、高圧蒸気滅菌時にはガス透過性が高くなり、雰囲気内に存在する酸素がプラスチック材料で形成された容器壁を通って容器内に侵入し内容液を変質させる。(中略)また、通常の高圧蒸気滅菌の条件下では、柔軟なプラスチック容器が破損することがあった。」(2頁右上欄20行ないし左下欄10行)等の問題点を解決するために、「特許請求の範囲(7)プラスチック材料で形成された柔軟な容器であって薬液を収容するものを提供し、これを高温において、該薬液に対して不活性なガスで加圧されかつ実質的に酸素の存在しない、飽和水蒸気を含む雰囲気中で滅菌することを特徴とする高圧蒸気滅菌された薬液入りプラスチック容器の製造方法」(1頁右下欄8行ないし14行)の構成を採用したことが記載され、かつ、同方法の詳細な内容として、「滅菌に当たり、薬液入りプラスチック容器を複数個の単位でオートクレーブ内21に収容し、排気をおこなって実質的に酸素を除去してからボイラ22から水蒸気をオートクレーブ21中に導入して飽和させる。ついで、不活性ガス供給源23から一度貯槽24に貯えておいた不活性ガス例えばアルゴン、ヘリウムおよび(または)窒素(これが望ましい)を導入して加圧した後、滅菌処理をおこなう。滅菌温度は一般に100℃ないし130℃普通115ないし126℃である。この発明の目的を達成するために滅菌雰囲気圧力は絶対圧で、滅菌温度における飽和水蒸気圧よりもその約10ないし200%(例えば約0.3ないし0.8kg/cm2)だけ余計に不活性ガスにより加圧されている。」(3頁右下欄4行ないし18行)と記載されていることが認められる(別紙図面C参照)。

以上の記載によれば、周知例記載の滅菌手段が本出願前当業者に知られていたことは認められるが、それはあくまで滅菌工程に関するものであって、滅菌工程に先立つ処理工程(本願発明におけるガス置換工程)に関するものでないことは明らかである。

したがって、相違点〈1〉に係る本願発明の構成の予測性を判断するに当たり、「周知手段である不活性ガスで加圧し、かつ実質的に酸素の存在しない飽和水蒸気中で殺菌することに替えて、(中略)先ず容器内を不活性ガスで予め置換し、しかる後、飽和水蒸気雰囲気中で滅菌する手段を講じることは当業者にとって格別の創意を要することとは認められない。」とした審決の判断は、滅菌工程の前工程としてガス置換工程を採用することの容易性の根拠を何ら説示していないことになるから、理由と結論との間に齟齬があるといわざるをえない。

のみならず、審決は、「上記滅菌手段を適用したことによって、滅菌作用の上で格別顕著な効果が奏せられているとも認められない」とも説示している。

ここにいう「上記滅菌手段」が、審決においてその直前に記載されている「容器内に薬液を収容した状態で、不活性ガスで加圧し、かつ実質的に酸素の存在しない飽和水蒸気雰囲気中で殺菌すること」、すなわち周知例記載の滅菌手段を指すことは明らかである。したがって、審決は、本願発明が要旨とするガス置換工程と滅菌工程とを組み合わせた構成によって奏される作用効果の顕著性について検討しないままに、本願発明の進歩性を否定したことになるから、その判断には遺脱があるというべきである(なお、「上記滅菌手段」が、本願発明が要旨とするガス置換工程と滅菌工程とを組み合わせた構成を指すとしても、前掲甲第2号証によれば、本願明細書には、ガス置換工程と滅菌工程とを組み合わせた構成によって得たもの(実施例)と、ガス置換工程を伴わず滅菌工程のみの構成によって得たもの(比較例)とについて、各プラスチック容器中の薬液の変質の度合いが示され、後者は滅菌直後においてすら褐変が生じているのに対し、前者は60℃の温度下で2か月間放置した後においてもほとんど変質がみられないことが記載されている(11頁9行ないし14頁下から7行)から、本願発明は「滅菌作用の上で格別顕著な効果が奏せられているとも認められない」とした審決の判断は、誤りとせざるをえない。)。

(2)被告の釈明の適否について

相違点〈1〉に係る以上のような審決の認定判断について、被告は、周知例記載の滅菌手段のみに替えて、技術常識である「加熱滅菌手段に先立って、薬液中及び容器内の酸素を不活性ガスで置換すること」をも付加的に採用することは当業者にとって格別の創意を要しないというのが、相違点〈1〉に係る審決の判断の趣旨であると釈明する。そして、上記技術常識を立証するために、株式会社地人書館昭和46年11月15日発行「薬剤製造法(下)」682頁(乙第1号証)、昭和36年特許出願公告第23194号公報(乙第2号証)、昭和42年特許出願公告第2920号公報(乙第3号証)、昭和40年特許出願公告第24039号公報(乙第4号証)、昭和38年特許出願公告第2293号公報(乙第5号証)及び昭和45年特許出願公告第37837号公報(乙第6号証)を援用する。

確かに、特定の技術的事項が証拠を示すまでもなく当業者の技術常識であるとき、当該技術的事項を適用することを審決において明示的に説示するまでもない場合もあると考えられる。しかしながら、本件は、本願発明が滅菌工程の前工程としてガス滅菌工程を採用している点が、引用例記載の発明との第1の相違点として取り上げられている事案である。そうすると、滅菌工程の前工程としてのガス置換工程の周知性ないし公知性の存否、ガス置換工程の薬液変質に対する作用効果の顕著性こそが、本願発明の進歩性の有無を決定するのであるから、審決は、この点に関する認定判断を明確に説示するのが当然である。したがって、審決の判断における最も重要な事項の説示を省略したことを是認することに帰する被告の上記釈明は、採用することができない。被告の「審決は、相違点〈1〉に係る本願発明の構成に想到することが当業者(すなわち、酸素により変質しやすい薬液の滅菌処理の技術分野における技術常識を含む通常の知識を有する者)にとって容易であったか否かを判断しているのであるから、上記の技術常識の存在を当然の前提としている」という主張は、上記の判断を妨げるものではない。

もっとも、引用例に、技術常識とされるガス置換手段をも付加的に採用することが示唆されているならば、被告の上記釈明を採用する余地もありうる。そこで、成立に争いのない甲第4号証(引用例)によって引用例記載の技術内容を検討してみると、引用例には、「第1の包装材料は高圧蒸気滅菌時にガス(酸素ガス及び水蒸気)透過性を有するプラスチック材料であるので、プラスチック容器内に残存している恐れのある酸素やプラスチック容器と第1の包装材料との間に残存している恐れのある酸素がこの発明に従う高圧蒸気滅菌時に第1の包装材料を透過して酸素分圧の低い滅菌雰囲気中に排出されるとともに、高温水蒸気の侵入により滅菌がより高度に達成される。」(4頁左下欄12行ないし右下欄1行)と記載されていることが認められる。

この記載によれば、引用発明が、酸素によって変質しやすい成分を含む薬剤を、酸素の残存量をできるだけ少なくした状態で包装することを意図するものであることが明らかである。しかしながら、同号証によれば、酸素の残存量をできるだけ少なくした状態を得るための具体的手段について、引用例には、「薬液16を容器11内に収容した後ポート13は、熱シール、高周波融着等によって適当なシール部材17で密封される。次に、薬液16を収容した容器11を既述の第1の包装材料で包装する。この包装体18は真空包装であることが好ましい。」(5頁左下欄9行ないし14行)と記載され、また、実施例の方法として、「濃度12%のアミノ酸(トリプトファンを含む。)輸液を常法により調剤し、これを柔軟なポリ塩化ビニル製パックに充填した。この薬液入りパックを(中略)二層ラミネートフィルムで真空包装した。」(6頁右下欄2行ないし8行)及び「第1の包装を、(中略)二層ラミネートフィルムおよび(中略)三層ラミネートフィルムをそれぞれトップ材およびボトム材として深絞り真空包装によっておこない、かつ第2の包装を(中略)三層ラミネートフィルムを用いておこなった」(7頁左上欄8行ないし右上欄2行)と記載されていることが認められる(別紙図面B参照)。

このように、引用発明は、その技術的課題(目的)が本願発明のそれと軌を一にするといえるが、引用例には、酸素によって変質しやすい成分を含む薬剤を、酸素の残存量をできるだけ少なくした状態で包装するための具体的手段としては、真空包装を適用することによって、プラスチック容器と第1の包装材料との間の酸素量を少なくすることが記載されているにすぎず、滅菌工程に先立って、酸素を不活性ガスで置換すること(ガス置換工程)によって薬液中及びプラスチック容器内の酸素量を少なくすることは示唆すらされていないから、被告の前記釈明を採用する余地はないというべきである。

この点について、被告は、予備的に、相違点〈1〉は要するに薬液の変質防止を技術的課題(目的)とする引用発明において、さらに可及的に薬液変質の防止を図るために技術常識であるガス置換工程を採用したものであって、そのような構成は当業者が特段の創意を要することなく容易に想到し得たものにすぎないと主張する。

しかしながら、被告の上記主張は、審決の認定判断とは別個の理由によって審決の結論を維持しようとするものであって、審決の違法性の有無を審理する本件訴訟の審理範囲を逸脱するものといわねばならない。

3  以上のとおりであるから、相違点〈1〉に係る審決の判断は誤りであり、この誤りが本願発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法なものとして取消しを免れない。

第3  よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面 A

〈省略〉

1.薬液入りブラスチック容器 4.脱酸素剤

2.プラスチック容器 5.薬液

3.包装材料 6.排出口

別紙図面 B

11…プラスチック容器 16…薬液 18…第1の包装体

21…第2の包装体 20、24…ノッチ 23…共通シール部

31…オートクレーブ 32…ボイラ 33…不活性ガス源

43…冷却水源

〈省略〉

別紙図面 C

21…オートクレーブ 22…ボイラ 23…丕活性ガス供給源

〈省略〉

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